データベース『世界と日本』(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 日米交涉に對する獨大使の抗議(日米交渉に対する独大使の抗議)

[場所] 
[年月日] 1941年5月17日
[出典] 日本外交年表竝主要文書下巻,外務省,522頁.
[備考] 
[全文]

   五月十七日

獨逸政府ハ米國ノ參戰ヲ抑制スル最良ノ方法ハ日本カ米國ノ提案ニ就キ交涉スルヲ斷乎拒否セラルルニ在リタルヘシトノ見解ナリ獨逸政府ハ日本政府カ米國政府ニ回答セラルル以前獨逸政府ノ意見ヲ待タレサリシヲ遺憾トス。三國條約ハ昨年獨伊日三國ノ政治的道德的結合トシテ締結セラレ其ノ大目標ハ第三國ノ戰爭參加ヲ阻止スルニ在リタリ。

本條約ハ從來右ノ目的ヲ達シタルモノニシテ將來モ亦若シ日獨伊三國ノ統一戰線カ緊密ニ維持セラルルニ於テハ其ノ效果ヲ發揮スヘシ三國條約締結國ノ一國カ三國條約外ノ第三國ト結フ條約ハ總テ三國條約國ノ戰線ノ弱化ト解セラルヘク斯クテ本條約ノ政治的效果ヲ減殺スヘシ。若シ日本政府カ夫レニモ拘ラス日米關係ニ關シ米國トノ交涉ヲ避ケ得ストサルルニ於テハ米國ハ事實上(國際法上ノ意味ニ於テハ然ラストスルモノ)樞軸國ノ敵國ナルカ故ニ上述ノ不利益ナル效果發生ヲ少クトモ豫メ不可能トスルコト必要ナリ。

故ニ英國ト樞軸國トノ戰爭ニ干涉セサル米國政府ノ義務(從來規定セラレタルヨリモ更ニ著シク明白ナル形式ニ於テ)及ヒ三國條約ヨリ生スル日本ノ義務ヲ明白且分明ニ確定スルコトカ、日米協約ノ根本點トナサルルヲ要シ而モ右根本點ニ爾餘ノ規定カスヘテ依存セシメラルルヲ要スヘシ。此ノ事情ノ下ニ於テハ形式化ノ問題カ最重要ノ意味ヲ有スルコトトナルヘシ。日本ノ回答ノ第二項ニ於テ三國條約ヨリ生スル日本ノ義務ノ存續ニ關シ述ヘラレアル點ハ元來日米協約中ニ於テ右ニ關シ言及サルルヲ要スル絕對最小限ヲ表ハシ居ルモノニシテ此ノ最小限ヲ逸脫スルコト或ハ弱化スルコトハ事態ヲ顚落ノ方ニ導クヘク其ノ結果トシテ三國條約ノ精神ト意味ニ矛盾スルニ到ルヘク遂ニ三國條約ヲ幻影化ナスヘシ。獨逸政府ハ今ヤ日米間ノ交涉ニ完全ニ參與シ米國ノ回答ニ付テ直ニ通報ヲ與ヘヲレ度シトノ希望ヲ主張セサルヲ得ス日本政府カ豫メ獨逸政府ト右重要問題ノ凡テニ關シ了解ヲ遂ケスシテ米國ノ通報ヲ聞カレ向後日本ノ地位ヲ確定サルルコトハ三國條約ノ關係ニ適合セサルモノナリ。