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日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 南部佛印進駐要求に關する加藤駐佛大使への訓令(南部仏印進駐要求に関する加藤駐仏大使への訓令)

[場所] 
[年月日] 1941年7月12日
[出典] 日本外交年表竝主要文書下巻,外務省,532-534頁.
[備考] 
[全文]

昭和十六年七月十二日發電

第二七三號

     在佛 加藤大使宛

一、帝國政府ハ最近ノ緊迫セル國際ノ新情勢ニ對處シ東亞共榮圏確立ニ邁進センカ爲佛印南部ニ於ケル軍事基地獲得及皇軍進駐ヲナスコトニ廟議決定シ今般佛政府ニ對シ其ノ申入ヲナスコトトセリ

 右ハ英米ノ妨害アルトモ是ヲ排除シテ實現セントスル帝國政府ノ固キ決意ノ下ニナサレタル決定ニシテ佛政府及佛印當局ノ反對アル場合ニ於テモ之ヲ强行セントスルモノナリ

二、惟フニ日佛印關係ハ客年以來漸次改善セラレツツアリト雖モ未タ滿足スヘキ事態ニハ到ラス且ツ英米カ我國ニ對スル包圍圏ヲ壓縮セントシツツアル折柄今ニシテ南部佛印ノ確固タル地步ヲ獲得スルニ非サレハ結局佛印ヲシテ完全ニ我方ニ同調セシムルヲ得サルヘシ今回ノ要求カ佛印累次ノ讓步ニ拘ラス再ヒ難キヲ强フルノ感アリ帝國トシテモ實ニ欲セサル所ニシテ且又佛近來ノ樞軸接近的態度ニ鑑ミ機微ナル關係アルヘシト雖モ帝國ノ自存自衞竝ニ南方政策推進ノ爲ニハ此際眞ニ已ムヲ得サルノ處置ナリ

三、就テハ直チニ佛側ニ對シ交涉ヲ開始シ共同防衞ヨリ始メテ皇軍進駐ニ及ヒ一應大局的ニ說明シタル後別電第二七四號ノ申入ヲナシ日本時間二十日中ニ先方ノ諾否ノ回答ヲ取リツケ相成度但シ諸般ノ關係上佛國カ帝國ノ要求ヲ受諾シ平和進駐ノ形式ヲ採ルコトハ我方ノ最モ希望スル所ナルモ交涉ニ長期間ノ餘裕ヲ置ク時ハ佛側ニ遷延ノ機ヲ與ヘ其ノ間英米カ騷キ立ツルハ極力避ケ度ニ付最短期間內ニ交涉ヲ行ヒ少クトモ前記期日迄ニ佛側ヲシテ「イエス」又ハ「ノー」ヲ回答スヘキ立場ニ追ヒ詰メ先方承諾ノ場合ニハ直チニ別電二七六號ノ文書ヲ交換セラレ度(目下軍ハ二十日前後ニ進發ヲ期シ着々準備ヲ整ヘ居ル處右進發ノ時期ハ作戰上絕對ニ變更ヲ許ササルモノニシテ其頃迄ニ佛側承諾スレハ平和進駐トナリ拒絕ノ場合ハ武力進駐トナル右貴使限リ御含迄)

四、我方今次ノ要求ハ非常ナル決意ノ下ニナサレタルモノナルヲ以テ一度佛カ我方ノ要求ヲ拒絕シ帝國カ獨自ノ立場ヨリ皇軍ヲ進駐セシムルニ到ラハ佛印ノ地位ニ重大變革ヲ齎スヤモ計リ難キニツキ此點充分先方ニ認識セシメラレ度シ但シ佛側受諾ノ場合ニ於テハ佛印ノ保全及主權ノ尊重ハ嚴肅ニ之ヲ保障スルノ用意アルハ申マテモ無之今回ノ提議ソレ自體一面ヨリスレハ此責任ヲ果サントスルノ衷情ヨリ出テタルモノナルニ付先方說得上充分利用セラレ度尙佛側受諾ノ場合ニハ佛印ニ對シ同盟國並ニ物資並ニ武器ノ供給等ニ付出來ル丈ケノ便宜ヲ與フヘキ好意ヲ有スルハ勿論ナリ

三{前1文字ママ}、尙客年松岡「アンリー」協定成立以來最近日佛議定書、經濟協定成立ニ至ル迄佛側トシテ一應誠意ヲ以テ我方トノ接近ヲ圖リ來リタルニ今又カカル軍事的要求ヲ提議セラレ佛側トシテ恐ラク意外ノ感アルヘキモ右ハ前述ノ通リ最近ノ緊迫セル事態ニヨリ已ムヲ得サルノ措置ニシテ敢ヘテ佛ノ主權ヲ侵害セントノ意圖ノ下ニ出テタルニ非ルコトハ特ニ先方ニ納得セシメラレ度シ

六、在京「アンリー」大使ハ「ドゴール」派ニ屬スルノ疑濃厚ニシテ帝國政府トノ交涉ハ遲滯ナク駐日英米大使ニ內報セラルル實情ナルヲ以テ今次交涉ハ貴地ニ於テ行フコトトセル次第ナルカ事柄ノ重大性ニ鑑ミ貴使ハ可相成直接「ペタン」首席ト交涉セラレ度ク固ヨリ任國政府內ノ事情ニヨリテハ「ダルラン」ニ交涉セラルルコト已ムヲ得サルヘシ尙本件申入カ英米側ニ漏ルルコトハ事態ヲ徒ニ紛糾セシムル虞アルニ付絕對英米側ニ洩ラササル樣佛側ニ嚴重注意シ置カレ度獨へ轉電アリタシ

第二七四號(別電)

  在佛加藤大使宛 七月十二日

一、最近ニ於ケル國際情勢ノ急變竝ニ大東亞共榮圏ノ一部タル南洋方面ニ於ケル第三國ノ軍事的政治的攻勢ニ起因スル事態ノ緊迫ハ帝國ヲシテ自存自衞ノ爲凡ユル必要ナル有效手段ヲ構スルノ已ムナキニ至ラシムルモノナル處佛印就中其ノ南部ニ於ケル狀況ハ帝國トノ提携ヲ欲セサル一派竝ニ「ドゴール」派ノ佛人カ英米ト種々合作ヲ試ムル等帝國トシテ憂慮ニ堪ヘサルモノアリ其ノ結果佛印カ英米ノ對日包圍政策ニ同調シテ佛本國ヲ離脫シ「シリヤ」ノ如キ狀況トモナラハ右ハ啻ニ佛ニトリ一大損失ナルノミナラス又帝國トシテ由々シキ大事ナリト謂フヘシカカル事態ヲ豫防シ佛印ヲ第三國ノ侵攻ヨリ安全ナラシメ兼ネテ日佛印提携ヲ完全ナラシムルハ佛國ノ責務ナルハ勿論大東亞ノ安定ヲ顧念スル帝國ノ責務ニシテ而カモ事態ハ今ヤ一日モ放置シ難キ迄ニ切迫セリ(先方カ斯樣ノ事態ナシト否定スル場合ニハ假リニ今左樣ノ事態ナシトスルモ英國ノ意圖ニ鑑ミ早晩斯樣ノ事態ニ立チ至ルヘキコト明白ナリト應酬アリタシ)

 而シテ右目的ヲ達スル爲ニハ過日成立セル政治的了解ニテハ不充分ナルニ付帝國トシテハ此ノ際進ンテ佛印ノ共同防衞ノ爲佛ト軍事的協力ヲ欲スルモノナリ

二、惟フニ最近ノ事態ニ於テ佛本國ハ獨力ヲ以テ世界各地ニ亙ル植民地ヲ有效ニ防衞スルコト極メテ困難ナル立場ニアル折柄佛印ノ事態ニ前述ノ如ク切迫シ來リ佛印ヲ東亞共榮圏ノ一環トシテ重要視スル帝國トシテ拱手傍觀シ得サル所ナルヲ以テ佛國カ眞ニ印度支那ノ安全ヲ企圖スルナラハ經濟的分野ニ於テノミナラス軍事的分野ニ於テモ帝國ト完全ナル提携及協力ニ進ムコト必要ナリト思考ス佛政府カ世界ノ大勢ヲ明察シ何處迄モ日本ヲ信賴シテ本提議ヲ虛心坦懷ニ受入ルルコト眞ニ佛印ヲ混亂ヨリ救フ唯一ノ道ナリト信ス

三、就テハ帝國政府ハ佛國政府ニ對シ佛國共同防衞ノ爲ニ左記事項ヲ應諾セラレ直チニ必要ナル措置ヲ採ラレンコトヲ要請ス

  左記

(イ) 所要兵力竝ニ艦艇若干及所要航空部隊ノ南部佛印ヘノ派遣

(ロ) 航空基地トシテ「シヱム・レアプ」「プノンペン」「ツーラン」「ニヤトラン」「ピヱンホア」「サイゴン」「ソクトラン」及「コンポン・トラツシユ」ノ八箇所、海軍基地トシテ「サイゴン」及「カムラン」灣ノ二個所ノ使用竝我方ニ於テ之ニ伴フ諸施設ヲ爲スコト

(ハ) 駐屯軍隊ノ演習居住及行動ノ自由ヲ認メ且之ニ對スル特別ノ便宜供與(西原「マルタン」協定中駐屯部隊ノ居住行動ノ制限ニ關スル事項全部ノ撤廢ヲ含ム)

(ニ) 佛印軍ヲシテ日本軍ト衝突セサル如ク別ニ電報スヘキ上陸地附近守備兵及航空部隊ヲ一時撤去スル等適當ノ措置ヲ講スルコト

(ホ) 派遣部隊行動ノ大綱(上陸地點上陸部隊等前記(ニ)ノ地點ト同シ)ノ承認(但シ此點ハ重要軍機ニ屬スルヲ以テ先方ノ全面的承諾アルニ到ル迄提示スヘカラサルニ付派遣後ノ兵力配置ト共ニ當方ヨリ電報ヲ待ツテ先方ニ明示スルコト)

(ヘ) 派遣部隊行動ノ細部ニ關シテハ佛側應諾後直ニ現地大本營機關(澄田機關)ト佛印側トノ間ニ協議ヲ開始セシムルコト但シ部隊カ上陸地附近ニ至ルモ右ノ細目協定終了シ居ラサル時ハ上陸後之ヲ行フ

(ト) 派遣部隊ノ使用通貨ノ提供(詳細別電第二七五號){註省略}

獨へ轉電アリ度シ