データベース『世界と日本』(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 佛領印度支那の共同防衛に關する日本國「フランス」國間議定書(仏領印度支那の共同防衛に関する日本国「フランス」国間議定書)

[場所] 
[年月日] 1941年7月29日
[出典] 日本外交年表竝主要文書下巻,外務省,538-539頁.
[備考] 
[全文]

大日本帝國政府及「フランス」國政府ハ

現下ノ國際情勢ヲ考慮シ

其ノ結果佛領印度支那ノ安全カ脅威セラルル場合ニ於テハ日本國カ東亞ニ於ケル一般的靜謐及自國ノ安全カ危險ニ曝サレタリト爲ス理由アルヲ認メ

此ノ機會ニ一方日本國ニ依リ爲サレタル東亞ニ於ケル「フランス」國ノ權利及利益特ニ佛領印度支那ノ領土保全及印度支那聯邦ノ全部ニ對スル「フランス」國ノ主權ヲ尊重スル旨ノ約束ヲ、他方「フランス」國ニ依リ爲サレタル日本國ニ對シ直接又ハ間接ニ對抗スルカ如キ性質ノ政治上、經濟上又ハ軍事上ノ協力ヲ豫見スル何等ノ協定又ハ了解ヲモ印度支那ニ關シ第三國ト締結セサル旨ノ約束ヲ新ニシ左ノ諸規定ヲ協定セリ

一、兩國政府ハ佛領印度支那ノ共同防衛ノ爲軍事上協力ヲ爲スコト

二、前記協力ノ爲執ルヘキ措置ハ特別取極ノ目的タルヘシ

三、前記諸規定ハ其ノ採用ノ動機ト爲リタル情勢ノ存續スル限ニ於テノミ效力ヲ有スヘシ

右證據トシテ下名ハ各國政府ヨリ正當ノ委任ヲ受ケ本日ヨリ實施セラルル本議定書ニ署名調印セリ

  昭和十六年七月二十九日卽チ千九百四十一年七月二十九日

  「ヴィッシー」ニ於テ日本文及「フランス」文ヲ以テ本書二通ヲ作成ス

    加藤外松(印)

    ダルラン(印)

附屬書乙號

    軍事上ノ協力ニ關スル交換公文

  一、七月二十九日附加藤大使發「ダルラン」副總理宛往翰

   (佛文)譯文

以書翰啓上致候陳者本日附ヲ以テ貴我兩國政府間ニ署名セラレタル議定書ニ關シ本使ハ閣下ニ對シ左記提議ニ對スル「フランス」國政府ノ同意ヲ本使ニ確認セラレンコトヲ要請致候

一、「フランス」國政府ハ日本國ニ對シ左記措置ヲ取ルノ權限ヲ與フ

 イ、必要數ノ日本國軍隊、艦艇及航空隊ノ南部印度支那ヘノ派遣

 ロ、「シエムレアプ」、「プノン・ペン」、「ツーラヌ」、「ニヤトラン」、「ビエンホア」、「サイゴン」、「ソクトラン」及「コンポン・トラック」ノ八個所ノ航空基地トシテノ使用並ニ「サイゴン」及「カムラン」灣ノ海軍基地トシテノ使用日本軍ハ前記各地ニ於テ所要ノ施設ヲ爲スヘシ

 ハ、前記日本國軍ハ宿營シ、演習シ及訓練スルノ權能ヲ與ヘラレ且行動ノ自由ヲ容認セラルヘシ同樣ニ右軍ハ其職務遂行ノ爲特別ノ便宜ヲ與ヘラルヘシ右ハ西原「マルタン」協定ノ規定スル諸制限ノ撤廢ヲ含ムモノトス

 ニ、「フランス」國政府ハ協議決定セラルヘキ樣式ニ從ヒ前記日本國軍ニ對シ必要ナル通貨ヲ提供スヘシ本年ニ付テハ右通貨ノ額ハ二三、〇〇〇、〇〇〇印度支那「ピアストル」卽チ月額約四、五〇〇、〇〇〇印度支那「ピアストル」ニ達スヘク右額ハ從前ノ諸協定ニ依リ規定セラルル「トンキン」駐屯日本國軍ニ提供セラルヘキ通貨ヲ含マサルモノトス

日本國政府ハ前記通貨ニ付「フランス」國政府ノ選擇ニ依リ自由圓、米弗又ハ金ヲ以テ支拂ヲ爲スノ用意アリ

二、「フランス」國政府ハ前記日本國軍ノ進駐ノ大綱ヲ承認シ且印度支那トノ不慮ノ衝突ノ發生ヲ回避スル爲一切ノ有效ナル措置ヲ執ルヘシ

三、日本國軍ノ行動ニ關スル細目ハ現地ニ於ケル日本國軍及佛國軍當局間ニ協議決定セラルヘシ

本使ハ茲ニ重ネテ閣下ニ向テ敬意ヲ表シ候

  昭和十六年(一九四一年)七月二十九日「ヴィシー」ニ於テ

    加藤外松(署名)

  二、七月二十九日附「ダルラン」副總理ヨリ加藤大使宛來翰

   (佛文)譯文

以書翰啓上致候陳者本日附ヲ以テ貴我兩國政府間ニ署名セラレタル議定書ニ關シ本大臣ハ閣下カ本日附ヲ以テ御送附相成且左ニ再錄セラルル書翰ニ包含セラルル提議ニ對スル「フランス」國政府ノ同意ヲ閣下ニ確認スルノ光榮ヲ有シ候

  ‐‐(加藤大使發「ダルラン」副總理宛往翰)‐‐

本大臣ハ茲ニ重ネテ閣下ニ向テ敬意ヲ表シ候 敬具

  千九百四十一年七月二十九日「ヴィシー」ニ於テ

    ダルラン(署名)