データベース『世界と日本』(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 第八十七議會秘密會に於ける東鄕大臣說明要旨(第八十七議会秘密会に於ける東郷大臣説明要旨)

[場所] 
[年月日] 1945年6月9日
[出典] 日本外交年表竝主要文書下巻,外務省,617-621頁.
[備考] 
[全文]

昭和二〇年六月九日

日本ヲ繞ル國際情勢ハ最近一、二年來緊迫ノ度ヲ加ヘ卒直ニ申セハ近來行キ詰リノ狀況テアリ他方米國ハ「カイロ」會談以來日本ノ無條件降伏ヲ揚言シテ居リマス。此ノ重大局面ハ是非打開ノ要カアリ日夜苦慮致シテ居リマスカ此ノ打開ノ鍵ハ先ツ「ソ」連ト支那ノ兩方面テアリマス。

一、「ソ」連ハ大國中完全ニ戰爭ヨリ離脫スルヲ得タ唯一ノ國テアリマシテ、獨「ソ」戰ノ終熄ニ依リ浮ヒ上ツタ五百萬ノ兵員ト近年躍進ヲ遂ケマシタ莫大ナル軍需生產能力トヲ有シ今後「ソ」連カ如何ナル動向ヲ示スカノ點ニ付テハ固ヨリ世界ヲ擧ケテ關心ノ焦點トナツテ居ルトコロテアリマス。

「ソ」連政府ハ御承知ノ通去ル四月五日我方ニ對シ日「ソ」中立條約不延長ノ意嚮ヲ通吿シテ參ツタノテアリマス。此ノ通吿ヲ爲スニ至リマシタ「ソ」連政府ノ意圖ハ相當複雑ナル動機ニ出ツルモノト認メラレルノテアリマス。

卽チ第一ニ現下ノ情勢ニ於テハ中立條約ハ最早ヤ日本ノミカ一方的ニ利益ヲ得ルニ過キナクナツタモノトナシ實利的見地ヨリノ條約ノ拘束ヲ免レント欲シタルコト、第二ニ「ソ」連トシテハ本條約カ無クナツテモ差詰メ日本ヨリノ攻擊ヲ恐ルルノ要ナシトシ從テ本條約ノ不延長ナル廉キ代償ヲ以テ米英側ニ恩ヲ賣ルト同時ニ波蘭問題等ニ付米英トノ間ニ起リタル摩擦ヲ緩和セントシタルコト更ニ第三ニ今回ノ通吿ニ依リ「ソ」連邦ノ反樞軸國ニ於ケル地位ヲ明確化シ置キ太平洋方面ニ於ル將來ノ事態ノ推移ニ依リテハ機宜ノ措置ニ出ツルノ地步ヲ築カントシタルコト等ノ動機ノ存シタルコトハ槪ネ想像ニ難カラヌトコロテアリマシテ今日ノ如キ世界情勢ノ激變期ニ當リ旣往ノ事態ヲ前提トスル條約ノ拘束ヲ此ノ際免レントスルノ意圖ニ出ツルモノト解シ差支ナイモノト存セラレマス

敵米英側ニ於キマシテハ「ソ」側ノ此ノ通吿ヲ多大ノ滿足ヲ以テ迎フルト共ニ日「ソ」中立條約不延長ノ通吿ハ同國ノ對日參戰ノ前提ナリ等種々ノ宣傳ヲ爲シタノテアリマス。

併乍ラ御承知ノ通リ桑港會議ハ開會早々波蘭政府招請問題、票決權問題、其ノ他ノ重要問題ニ付キ米英ト「ソ」連トノ間ニ相當ノ意見ノ相異アルヲ暴露シタノテアリマス。他方獨「ソ」戰ノ最終段階ノ近付クト共ニ活潑化セル「ソ」連ノ東歐諸國ニ對スル施策ハ米英ヲ刺戟シ此ノ方面ニ於テモ重大ナル利害ノ對立ヲ露呈致シタノテアリマス、卽チ「ソ」連ハ米英ノ承認セサル「ワルソー」政權トノ間ニ相互援助條約ヲ締結シ、「ユーゴー」政府トノ間ニ相互援助條約及通商協定ヲ締結シ、又米英側ト事前ノ打合ナク突如墺太利ニ「レンナー」政府ヲ樹立シ更ニ「ユーゴー」ヲシテ「フユメ」「トリエスト」ヲ占領セシムル等去ル四月以來「ソ」連ノ實力ヲ背景トスル政治工作ハ次々ト急速ニ展開セラレ米英トノ間ニ紛糾ヲ釀シツツアリマス。

元來「ソ」連ト米英トハ呉越同舟ノ關係ニ立ツモノテ主トシテ主トシテ獨逸打倒ノ點ニ於テ利害ノ共通點ヲ有シ從テ獨「ソ」戰ノ繼續中ハ三國間ニ緊密ナル協力ヲ保持シタノテアリマスカ、今ヤ獨「ソ」戰終了セル暁ニ於テ「ソ」米英關係カ今後如何ナル發展ヲ示スヤノ點ニ付テハ帝國ト致シマシテモ最モ深甚ナル關心ヲ以テ注視致シテ居ル次第テアリマス。現ニ獨崩壞後「ソ」連對米英ノ紛糾ノ兆沸々現ハレツツアリマスカ從來ノ例ニ依リマスルト小局的ニハ種々紛糾致シマスルカ大局的妥協ハ依然持續シテ居リマシテ三國共戰勝ノ結果ヲ確保シ得ル爲ニハ三國間ノ協調ヲ必要トスル認識大ナル模樣テアリマスカラ大東亞戰爭中俄ニ三國關係ノ分裂スル如キコトハ有リ得ヌモノト觀察スルカ妥當ト思ハレ、從テ唯帝國トシマシテハ濫リニ三國間ノ軋轢ニ付キ希望的觀測ヲ下スコトハ愼マネハナラヌト存シマス。

次ニ「ソ」連ノ對日態度ニ付キ見マスルニ最近ニ於テモ大體ニ於テ愼重ナル態度ヲ維持シテ居リマス。但シ昨年十一月六日「スターリン」首相カ日本ヲ侵略國ト呼ヒ本年四月五日中立條約不延長ノ通吿ヲ爲シタル後ハ事實上ニ於テハ何時ニテモ敵對態勢ニ入リ得ル狀勢ニアリ且又「ソ」連ハ二月中旬ヨリ兵力武器ノ東部「シベリア」方面ヘノ輸送ヲ開始シ、右輸送ハ今日依然繼續セラレテ居リマシテ此點ハ我方トシテ深甚ナル關心ヲ拂ハサルヲ得ナイトコロテアリマス。卽帝國トシテハ米英ト死力ヲ盡シテ戰ヒツツアル間ニ「ソ」連カ背面ヨリ攻メ來ルカ如キハ嚴ニ之ヲ防止スル必要カアリマス。從テ帝國ニトリ大東亞戰下北方ノ靜謐維持カ死活的利害ヲ有スルコトハ申ス迄モナイトコロテアリマス。尙又中立條約ハ御承知ノ通リ猶十ケ月ノ有效期間ヲ存スルノテアリマスカ今後ノ事態ノ推移ニ依リマシテハ條約ノ保障モ必スシモ萬幅ノ信ヲ置キ難キ事態ニ立到ルコトモナキヲ保セヌノテアリマス。

斯ク觀シ來リマスレハ帝國ノ對「ソ」外交ハ現下ノ政戰局ニ鑑ミ益々緊要性ヲ增加シ來リタル反面、「ソ」連ニ對スル外交施策ノ推進ハ從來ニ比シ一層困難ヲ加ヘ來リタル事實ヲ認メサルヲ得ナイノテアリマス。現內閣ハ「ソ」連ノ中立條約不延長ノ通吿カ參リマシタ直後ニ成立シタノテアリマスカ、茲ニ現內閣カ「ソ」連ノ中立條約不延長通吿ニ對シ政府ノ執リマシタ措置ニ付簡單ニ御話シ致シタイト存スルノテアリマス

御承知ノ樣ニ「ソ」政府ノ通吿文ハ日本カ獨逸ノ同盟國トシテ獨逸ヲ援助シ來リ且日本ハ「ソ」連ノ同盟國タル米英ト戰爭シツツアルト謂フコトヲ以テ中立條約ヲ延長シ得サル理由ト爲シタノテアリマス。此ノ理由ハ帝國ト致シマシテハ甚タ納得シ難イトコロテアリマシテ、卽チ從來日「ソ」兩國ハ互ニ自國カ對手方ノ同盟國ト戰爭ヲシツツアルコトハ百モ承知ノ上テ然モ尙且兩國直接ノ間柄テハ中立條約ヲ基準トスル中立關係ヲ維持スルト謂フ態度ヲ互ニ表明シテ居ツタノテアリマス。仍テ政府ハ佐藤大使ニ訓令ヲ發シ「ソ」連政府ノ不延長ノ理由トスルトコロハ帝國外務省ノ承服シ得サルトコロテアルト謂フコトヲ申入レセシムルト共ニ此ノ機會ニ「ソ」側ノ意圖ヲ打診セシムル様取計ラツタノテアリマス。此ノ訓令カ「モスコー」ニ着キマシタ時ハ旣ニ「モロトフ」外務人民委員ハ「サンフランシスコ」ニ向ケ出發後テアリマシタノテ佐藤大使ハ「ロゾフスキー」ト會見致シマシタカ、「ロゾフスキー」ハ責任者テナイ爲單ニ佐藤大使ノ申出ハ之ヲ「ソ」政府ニ傳達スヘキ旨ヲ述フルニ止マツタノテアリマス、尙其ノ間四月二十日在京「マリク」ソ連大使ト左ノ通リ會談シタノテアリマス。私ヨリ元來中立條約ハ私カ日本政府ト打合セ其ノ同意ノ下ニ話ヲ始メタ處、「ソ」側ニ於テモ之ニ賛成セラレ大部分ニ付話合カツキタル際私ハ日本政府ノ命ニ依リ歸朝シタノテ、中立條約トハ個人的ニ非常ニ深キ關係アリ從テ中立條約ノ不延長通吿ハ誠ニ遺憾テアル、元來日「ソ」中立條約ハ世界ノ昏冥裏ニ一道ノ光明ヲ放テルモノテ軈テ來ルヘキ世界平和ハ此點ヨリ現出セラルヘキモノト希望シ居リタル次第ナリ此ノ氣持ヲ當時ノ交涉相手タリシ「モロトフ」氏ニ御傳ヘ願ヒ度ク尙中立條約ハ今後一カ年ノ效力ヲ有スルヲ以テ其間尙充分話合ノ機會アルヘシト述ヘタル處、大使ハ貴大臣ノ御氣持ハ御傳ヘ致スヘシト同時ニ御話通リ時日モアルコト故將來日「ソ」兩國間ニ起ル問題ニ付テハ充分意見交換ノ餘裕アルヘシトノ意味ヲ述ヘテ居タノテアリマス。

尙又其後佐藤大使ヘハ更ニ訓令ヲ發シ「モロトフ」カ桑港會議ヨリ歸國致シマスヤ直ニ中立條約問題等ニ付「モロトフ」ト會談ヲ遂クル樣電報シタノテアリマスカ佐藤大使ハ去ル五月二十九日「モロトフ」ト會見致シタノテアリマス。其ノ際「モロトフ」ハ「ソ」連ハ條約ノ不延長ヲ通吿シタ後ト雖モ事態ニ變化ヲ來スモノテハナイト考ヘテ居ル、又此ノ點日本政府モ「ソ」連政府ト同樣ノ考ヲ持ツテ居ラレルモノト考ヘルト答ヘタ旨ノ報吿カ接到シテ居リマス。

右諸種ノ點ヨリ「ソ」連ノ我方ニ對スル態度ハ一應中立維持ノ態度ト觀取セラルル次第テアリマスカ事態ノ變化ニ依ツテハ如何ナル態度ノ變更ヲ示スヤ計リ難イノテ注意ヲ怠ルヲ得ナイノテアリマス。

戰時ノ外交ハ戰局ノ推移ニ依リ左右セラルル處甚タ大ナルモノカアリマス關係上萬一帝國ノ國力甚シク低下シ來ルカ如キ場合ニハ、「ソ」連モ亦帝國ニ對シ武力ノ壓迫ヲ加へ或ハ又參戰シ敵米英トトモニ自己ノ分ケ前ニ預ラムトスルノ行動ニ出テ來ラストセス、從テ「ソ」連ニ對シテハ目下極テ警戒ヲ要スル時期ニアリト申スヘキテアリマス。

卽自分ト致シマシテハ極力對「ソ」關係ノ積極的打開ヲ計ル爲今後共萬全ノ努力ヲ盡ス覺悟テ御座イマス。

二、次ニ重慶問題テアリマス。

重慶問題ニ付キマシテハ重慶ヲ含メタ支那トノ所謂全面和平ハ我方トシテ望マシイモノテアルコトハ、何人モ異論ノナイ所テアラウト考フルノテアリマス。

但シ此ノ問題モ、全般情勢就中戰局ノ推移如何ニ依テ支配サレル所カ多イコトハ當然テアリマスルシ、又特ニ今日ニ於テハ、重慶ノ動向ハ「アメリカ」トノ關係ニ依存スル所カ極メテ大キイコトモ、否ムヘカラサル事實テアリマス。尤モ重慶ト致シマシテモ、內外諸般ノ情勢ニ鑑ミ、長ク日本トノ抗爭ヲ繼續スルコトニ付テハ、相當矛盾ノ惱ミヲ有ツテ居リマスコトハ、推斷ニ難カラサル所テアリマシテ、殊ニ內部ニ於テハ戰爭カ長ヒクニツレ、重慶ノ統制ヲ離レタ中共勢力ノ擴大ヲ見ツツアリマスコトハ、豫テ國內ノ統一ニ重キヲ置ク重慶ノ最モ好マサル所テアリ、又外ニ於テハ「アメリカ」ノ勢力カアマリニ强大ニナリ過キルコトハ、重慶トシテモ、其ノ前途ニ對シ、警戒セサルヲ得サルヘク、又自國領土殊ニ中南支ノ重要都市カ米軍等ノ上陸ニヨリ荒廢ニ歸スルコトハ之レヲ避ケタシトノ希望ヲ有シ居リ斯樣ノ狀況カラ見マシテ重慶今後ノ動向ハ最モ注視ヲ要スル所テアリマス。

右ニ關連シ、茲ニ一ツ御紹介シテ置キマスコトハ、過般南京主席代理陳公博氏ヨリ話カアリマシタ重慶側ノ和平問題ニ付テノ考案ナルモノテアリマス。陳公博カ谷大使ヲ通シ自分ニ申シ來レル所ニ依リマスト、重慶側トシテモ、對日和平ノコトハ考ヘテ居ルノテアルカ、唯其ノ方法ハ南京側ノ行キ方ト異リ米國ノ了解ヲ得テ之ヲナサントスル考案ナリトノコトテ又其ノ實行ハ今直クニトイフワケテハナク將來適當ノ機會ヲ見テ米國ニ向テ提議セントスルニアリトノコトテアリマス。右重慶側ノ和平意向ナルモノハ、何レノ筋ヨリ出テタルモノナリヤ明カテアリマセンカ、右ニ關シテハ、先般蔡培大使ヨリモ、其ノ離任歸國前話カアリマシタノテ、私ハ之ニ對シ日本トシテハ支那トノ間ニ政治的ニハ互惠ヲ旨トシテ親善關係ヲ確立セントスルモノテアツテ右ハ萬邦共榮ヲ旨トスル帝國ノ根本方針ニ基クモノニ外ナラヌノテアルカラ、重慶側ニ於テ、右日本側ノ考ニ同意スルニ於テハ、米國ノ了解ヲ得ルト否トニ拘ラス、全面和平ノ途拓カルルニ至ルヘク唯和平問題ニ關シ、今日迄ノ所、南京側ノ意向ハヨク分リ居ルモ重慶側ノ責任アル筋ノ眞ノ意向ハ充分分リ居ラサルニ付、右ニ付確實ナル具體的情報ニ基イテ話アラハ便利ナリトノ趣旨ヲ以テ、不取敢應酬シテ置イタノテアリマス。

三、重慶トノ和平問題ハ今日ノ重慶ト「アメリカ」トノ關係等カラ見マシテ、單ニ日支間限リノモノトシテ之ヲ對米英戰爭處理全般ノ關係ヨリ切離シテ解決スルコトハ極メテ困難ノコトト認メラルルノテアリマス。然シナカラ帝國トシテハ此ノ際我方ノ抱懷スル大東亞諸國且ツハ全世界ニ對シ抱懷スル公正ナル外交方針ヲ闡明シ單ニ重慶ノミナラス米英ヲモ含メタル全世界ニ對シ眞ニ恒久的世界平和ヲ招來スルノ大道ノ在ル所ヲ示スコトカ適當ト認メ右ノ通リ回答致シタ次第テアリマスカ今後益々之ヲ徹底スル樣ニ啓發誘導シテ參リマスコトハ極メテ必要ト認メラレマスルノテ此ノ點ニ付テハ出來得ル限リノ努力ヲ拂ツテ行キタイト考ヘテ居ルノテアリマス。

併シ乍ラ本政策ノ推進モ前ニ申述ヘタ諸般ノ情勢上必スシモ事容易テナイコトヲツケ加ヘテ申上ケタイノテアリマス。